「夢の中でゲームするときコントローラー使ってなくない?」の歌詞と文字化けの意味を徹底考察【バーバパパ】

バーバパパ氏による新作「夢の中でゲームするときコントローラー使ってなくない?」が、一度見たら忘れられない中毒性で大きな話題になっています。

多くの人が「高熱の時に見る夢のようだ」と語るこの作品。一見すると意味がわからない映像と歌詞に見えますが、実は平安時代末期の武将・平清盛の最期をテーマにしているという説が非常に有力です。

この記事では、動画の肝となる謎めいた歌詞や文字化けに焦点を当て、その意味を徹底的に考察していきます。

目次

冒頭の奇妙な歌「14月と15月」の意味とは?

動画は、雅な衣装をまとった人物が陽気なベースラインに合わせて踊るシーンから始まります。しかし、その歌の内容は一見意味不明です。

八月と 六月足せし 十四月 あ、十四月二、三月 四月と掛けて 十五月 あ、十五月

「14月」や「15月」という、現実には存在しない月。これは高熱による意識混濁を表しているとも考えられますが、実は歴史的な事実に深く関係しています。平清盛が病に倒れ、亡くなったのは治承5年(1181年)の閏2月でした。旧暦では、1年のずれを調整するために「閏月(うるうづき)」が挿入されることがあり、この年の2月は2回あったのです。

つまり、前年から数えると閏2月は「14ヶ月目」と「15ヶ月目」にあたるのです。つまり、この歌は、清盛が自身の死期を悟っている、あるいは死の運命から逃れられない状況を表しているのではないのかと言われています。

また、「二、三月 四月と掛けて十五月」という部分には、さらに深い言葉遊びが隠されているという説もあります。「掛ける」を「欠ける」と解釈し、「1、2、3、4、5」という数字の並びから「2、3、4」が欠けると、残るのは「1」と「5」。つまり「15」になるというのです。

謎の遊び「ゑなるゲーム」の意味を考察

動画の中で特に印象的なのが、奇妙な怪物たちが繰り広げる「ゑなるゲーム」です。一見意味不明な言葉のやりとりですが、ここにも様々な意味が込められていると考えられます。

「ゑなる」とは何を意味するのか?

まず、「ゑ」という文字自体が重要です。いろは唄において「ゑ」は「し(死)」の次であり、「ひ(火)」の前に位置します。平家物語で「火を焚いたような高熱」と描写され、壮絶な最期を迎えた清盛にとって、「」と「」の狭間にあるこの文字は、まさに生と死の境界線を象徴しているのかもしれません。

また、古語で疫病を「ゑやみ」と呼んだことから、「ゑなる」は疫病にかかること、あるいはその原因となる「穢(ゑ)」を指しているという説も有力です。熱病に苦しむ清盛の状況そのものを表していると考えられます。

「ゑなるゲーム」の歌詞に隠された意味

このゲームは、「ゑなるに言葉を足して新しい概念で殴り合う」というルールですが、作中で登場する言葉には、平清盛の生涯と深く関わるものが沢山あるとされています。

  • ゑなるアドバイザー:清盛の嫡男で、父の横暴を諫めたとされる平重盛を指すのかもしれません。
  • ゑなるごはん:清盛の治世末期に起きた「養和の飢饉」を連想させます。
  • ゑなリズム:平家一門の物語を語り継いだ琵琶法師の演奏するリズム。
  • ゑなる鳥:壇ノ浦の戦いの際、源氏につくか平家につくかを鶏合わせで占ったという逸話や、平家の滅亡を嘆く声で鳴くとされる「平家鳥」の存在が考えられます。
  • ゑなるハム:これは「ハム」ではなく、「公(きみ)」ではないでしょうか。武士でありながら太政大臣にまで上り詰めた清盛を指しているのかもしれません。
  • 右ゑなる:清盛が武士として初めて就任した右大臣という役職。

これらの言葉は、清盛の栄華と没落の記憶が、死の淵で言葉遊びとなって現れたものだと解釈できます。

「あつち」と文字化けに隠された怖い意味

繰り返される「あつち」の本当の意味

動画内で清盛は「あつちあつち」と叫びながら苦しそうに踊る場面があります。これは単に「熱い」という意味だけではありません。古語で「あつち死」という言葉があり、「高熱でもだえ苦しみ、跳ねるようにして死ぬこと」を意味します。これはまさに、『平家物語』で語られる清盛の凄惨な最期そのものなのです。コミカルに見えるダンスが、実は最も直接的な苦しみの表現であることに気づくと、背筋が凍る思いがしますね。

解読された文字化けの警告

作中、大きな口を持つ化け物が文字化けした言葉を発します。この文字化けを解読すると、驚くべき内容が浮かび上がりました。(文字化けはオンラインの文字化け解読ツールで簡単に解読できます。)

探索を今すぐやめてください。最初にいた部屋でおとなしくしていてください。あなたが行こうとしていた部屋へ行けばあなたの死が確定してしまいます。

一見すると敵対的な怪物に見えますが、実は清盛が「運命が尽きるの部屋」へ行くのを必死に止めようとしていたのです。しかし、高熱にうなされる清盛にはその警告が理解できず、ついには自ら消える運命を選んでしまいます。

「夢の中でゲームするときコントローラー使ってなくない?」の考察まとめ

この動画は、死に瀕した平清盛の脳内で繰り広げられる、生きたいという本能と、安らぎを求める感情、そして周囲の看病や彼が背負った怨念などが入り混じった、混沌とした世界を描いているのではないでしょうか。

そして、絶妙に共感してしまう動画のタイトル「夢の中でゲームするときコントローラー使ってなくない?」に立ち返ると、そのタイトルの意味に気づかされます。夢の中では、自分の意思とは無関係に物語が進んでしまうことがあります。清盛がもはや自身の運命をコントロールできなかったように、この悪夢のゲームにはコントローラーが存在しないのです。

そして最後のシーン、視点は突然プレイヤー自身(一人称)に切り替わります。清盛を救えなかったプレイヤーは、化け物に責められ、同じ地獄へと引きずり込まれてしまうのです。これは、ただの傍観者ではいられない、という強烈なメッセージなのかもしれません。

バーバパパ氏の作品は、一見すると難解でありながら、その裏には深い計算が隠されていました。

参考にさせていただいたYouTubeコメント

@チキン南蛮-r4p様 @逢風様 @Roent694様 @AI__fantasy様 @滑らかな口溶け様 @トガタちゃん様

元動画「夢の中でゲームするときコントローラー使ってなくない?

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