ピノキオピーさんの「T氏の話を信じるな」。初音ミクと重音テトが歌うこの曲は、一度聴いたら頭から離れない中毒性と、考えれば考えるほど深みにはまる、恐ろしいほどのメッセージ性で、あっという間に大きな話題になりました。
この曲は、ただのボカロ曲ではありません。情報があふれる現代で、私たちが「何を信じて生きているのか」を鋭く問いかける、まるで鏡のような作品です。今回は、MVや歌詞に隠された意味をじっくりと考えていきたいと思います。
ミクとテト、二人が演じる「洗脳」のリアルさ
この物語は、ミクとテトという二人の少女の関係が中心になっています。それでは見ていきましょう。
テト:甘い言葉をささやく「教祖」
テトは、ミクを巧みに導く「教祖」のような存在です。物語の導入で、テトはミクに対して「裏技を使えば人生は楽になる」といった甘い言葉をささやきます。
テトが言う言葉は、なんだか疲れていたり、将来に不安を感じていたりする時に聞くと、つい惹かれてしまうような甘い魅力がありますよね。MVでテトが使う水晶玉や振り子は、まるで催眠術のようで、ミクがどんどん精神的に支配されていく様子が伝わってきます。
ミク:救いを求めてハマっていく「信者」
そんなテトの言葉を、ミクは純粋に信じていきます。MVで特にゾクっとするのが、ミクがT氏の教えを受け入れるたびに、彼女の身につけるアクセサリーが増えていくシーンです。最初は小さな缶バッジだったのに、どんどん増えていき、まるで彼女自身が「T氏」の色に染められていくようです。彼女の瞳はキラキラと輝いていますが、それは希望の光というより、自分で考えることをやめてしまった「盲信」の危うさを感じさせます。
謎に包まれた「T氏」って、一体誰?
この曲の最大の謎が「T氏」の正体です。ネットでは色々な考察がされています。色々な説を見ていきましょう。
たつき涼さん説
まずインターネット上で見られるのが、漫画家のたつき涼さんのイニシャル(T.R)と結びつける説です。「2025年7月に大災害が起こる」という内容の作品が過去に話題となったことから、不確かな情報が拡散していく現代の状況と楽曲のテーマを重ねて、このように考察する意見があるようです。
YouTubeやX(旧Twitter)説
YouTubeの「Tube」や、Xの「Twitter」の頭文字が「T」であることから、SNSプラットフォームそのものが「T氏」だという考え方です。今のSNSは、自分が好きな情報ばかりが流れてくるので、だんだん「自分の見ている世界が全てだ」と勘違いしがちです。この状況は、まさに現代の洗脳と言えるかもしれません。
AI(愛)説
歌詞の中では「愛」と「AI」が巧みにかけられており、最近のAIが作り出す、本物か嘘かわからない情報へのメッセージとも考えられます。
この真偽の曖昧さこそが、人々が作中の「T氏」のような存在が示す分かりやすい救いや愛情に、疑いなくすがってしまう現代の危うさを象徴しているのではないでしょうか。
これらの説はどれも面白いですが、一番しっくりくるのは、「T氏」とは特定の誰かではなく、私たちがつい頼ってしまう「都合のいい情報」や「救いのように聞こえる嘘」そのものの象徴だという考え方ではないでしょうか。
ミクの叫びが胸に刺さる
物語の中盤、ミクは一度「T氏のことは信じないほうがいい」という声に触れて、心が揺らぎます。でも、彼女は真実から目を背け、「これを信じなければ精神が崩壊してしまう」という恐怖心から、自ら盲信の道を選んでしまいます。
この場面、とてもリアルですよね。一度心地よい世界にハマってしまうと、そこから抜け出して厳しい現実と向き合うのはとても辛いことです。「信じているものが嘘かもしれない」と分かっていても、それを手放したら自分の心が壊れてしまう。だから彼女は、狂ってでも信じ続けることを選びます。
そしてミクは「真実を知るだけでは自分は救われない」という本音を口にします。これはこの曲の核心かもしれません。真実を知ることが必ずしも幸せに繋がるわけではない、という厳しい現実。だからこそ、人は心地よい嘘に救いを求めてしまう。そんな人間の弱さが描かれているように感じます。
最後のどんでん返し
物語の最後、ミクはT氏のアクセサリーを全て外し、「騙されていた」と語ります。一見、彼女は洗脳から解放されたように見えます。しかし、これは本当にハッピーエンドなのでしょうか?
もしかしたら、「T氏に騙されていた可哀想な私」という新しい物語に依存することで、自分の過去の行動から目を背け、なんとか心のバランスを保っているだけなのかもしれません。
そして、この曲は最後に、「この歌そのものさえも信じてはいけない」と警告します。
この一文で、全てがひっくり返ります。ピノキオピーさんは、この曲で描いた物語や、たくさんの人がしている考察、そして今あなたが読んでいるこの記事の内容さえも、鵜呑みにしてはいけないと伝えているのです。
「T氏の話を信じるな」というメッセージを信じること自体が、結局は「この歌(=T氏の代弁者)を信じている」ということになってしまう。この不思議な状況こそが、盲信の危うさそのものを表しているのかもしれません。
この曲は、私たちに「これが正解だ」という答えを教えてはくれません。ただ、あふれる情報の中で、何を信じ、どう生きるかを決めるのは、他の誰でもない自分自身なんだと、改めて気づかせてくれます。この曲を聴いて、私たちが普段、何を当たり前のように信じて生きているのか、一度立ち止まって考える良い機会になったと感じました。